新聞記事などを調べると、事件発生5時間後の7月26日午前0:05分に保健所の所長が記者会見で、「食中毒を最も疑っている」と発表しました。
それは、カレーという刺激物であったため、毒物特有の臭いがわかりにくく、また患者に毒物特有の症状が見られなかったためです。
この時「特有の症状」として考えられたのは、農薬を飲んだときに起こる瞳孔の変化と、血液検査によるリン濃度の変化ということです。
7月26日の午前6時半に、「患者のとしゃ物から青酸化合物が検出され、和歌山県警は和歌山東署に『園部における毒物混入事件捜査本部』を設置」しました。ところが、保健所の所長が青酸化合物による毒物中毒の疑いが強いと知ったのは、午前9時半のテレビニュースでした。ここには3時間のタイムラグ(直接病院へ連絡があったらしい10.23修正)があり、後に保健所の医師は「早く知らせてほしかった」とコメントしています。
そして、事態が急転したのは8月2日で、和歌山県警は「死者の胃の内容物や食べ残しのカレーから猛毒のヒ素を検出した」と発表。捜査本部は、青酸化合物の鑑定に重点をおいていたために、ヒ素の検査はしていなかった。事件発生後8日が経過していました。
その後、ヒ素の量が膨大なことが分かり、8月3日には数十gの可能性が報道され、その後400gではないかともいわれています。
これら判断の遅れや、揺れ動きが治療に影響をしたかどうかは不明ですが、ともかく毒物中毒への対処の難しさばかりが目立ちました。
ところで、1996年に大阪は堺市で、O157が発生したとき、地元の医療機関の有志がすぐにインターネットのホームページを立ち上げ、迅速な情報提供と情報交換がされました。
児童用の人工透析器具が不足したので全国に手配されたり、治療行為が可能な空きベッドのある病院が患者に紹介されたり、そして世界中から治療法などのアドバイスが続々と届きました。
その後、O157に関する情報の流れは行政の意向で行政へ一元化されましたが、問題解決へ向けて、ネットワークを介して医療に携わる人のエネルギーが集中していくさまは、感動的でさえありました。
ここ数年、インターネットを通じ、神戸の震災のボランティアネットワークの試み、日本海重油流失事故のボランティア活動情報、堺市でO157集団感染があった際に医療機関から情報提供されたことなど、すぐ間近の情報化社会に向けモデルとなるべき重要な活動がありました。
しかし、今回の和歌山の毒物混入事件では、和歌山の保健所はホームページを持たないし、和歌山県立医大は毒物混入事件に関する調査情報などを掲載しておらず(10.23現在)、残念ながらネットワークの有効な活用(空間を超えた人と知恵の結集)が行われていないようです。
追加その2(10.23午後4時)
9月17日東京新聞日刊によると、東京都は、毒物混入事件の続発で、解毒剤の備蓄を充実し、危機管理マニュアルを作る方針。都は、杏林大学と日本医科大学の高度救命救急医療センター2カ所に現在常備している解毒剤を、21カ所の全ての救命救急センターにも常備していくと発表しました。
ヒ素中毒(arsenic poisoning) 呼気にニンニク臭。症状は、経口的には、嘔吐、腹痛、下痢などの消化器症状、末梢神経炎症上、皮膚炎を起こす。呼吸筋麻痺による呼吸不全、血圧低下、大量の体液、電解質の消失をきたす。治療は、催吐、胃洗浄、吸着剤と下剤の投与、腸洗浄。そして、循環管理を行う。
参考資料:
南山堂医学大辞典 南山堂
7.27.1998毎日新聞日刊
7.27.1998朝日新聞日刊
8.3.1998朝日新聞日刊
8.12.1998朝日新聞日刊
The National Institute for Occupational Safety and Health、(Arsenic Hydride)POISONING IN THE WORKPLACE(職場における中毒事故) 8.3.1979 の文書によると、ヒ素の人における平均的な致死量は分かっていないが、ほ乳動物では約0.5mg/kgbody weight。また、吸入では800mg/Fで即死、80〜160mg/Fでは30分で死にいたり、32mg/Fの場所に長くとどまると致命的ということです。また、職場におけるヒ素中毒(arsenic poisoning)は、ヒ素取り扱い工場や非鉄金属精錬所(アルミなど)、そして農薬工場などで見られます。アメリカでは、1928年から1974年の46年間の間に、ヒ素にまつわる事故が207件発生し、そのうち51件(25%)に死者が出たということです。